
鹿士 憲司
(しかしけんじ)
プロフィール
1967年6月25日生 北海道札幌市生まれ札幌育ち
創業70年 土地家屋調査士 鹿士事務所 所長
(株)鹿士 測量 事務所 代表取締役
その他3社を経営
不動産登記・測量業務の実務経験は30年以上
レック東京リ-ガルマインド 元専任講師・専任アドバイザー
座右の銘
「思考は現実化する」
「努力は才能を凌駕する」
「人間万事塞翁が馬」「鶏口牛後」
「感動とは感じて動くと書くんだなぁ。(by相田みつを)」
「明日死ぬと思って生きる。
永遠に生きると思って学ぶ。
(byマハトマガンジー)」
執筆活動
- 土地資産家向け本格的経営情報誌
- 「家主と地主」(全国賃貸住宅新聞社)
所属団体
協力・提携
- スタイリスト 鹿士 理恵
- ヘアメイク ヘアスタイリスト 網谷 愛
- カメラマン 上村幸将・上村幸矢
https://www.uemura-st.com/ - ウエブサイト 梅沢 太一
https://starcreates.me/
鹿士 憲司
ヒストリー

華やかさの裏にある人生を懸けた
無一文からのチャレンジ
土地家屋調査士、不動産投資、飲食店投資事業と多岐にわたる事業を展開し、フェラーリを颯爽と乗りこなすその姿は、
華やかに映るかもしれません。
しかし、その成功の裏には、
20年以上の下積みと30年以上のたゆまぬ努力と挑戦があります。
何も後ろ盾がない無一文から事業を起こし、
親や親戚から資金援助・相続財産を一切貰わず、
顧客をゼロから開拓し、僅か15年で無一文のサラリーマンから
年収手取り1億円を稼ぐまでに。
ここに、鹿士憲司の歴史と彼の生き様をまとめました。
ぜひ、その足跡をご覧ください。
文責:スタークリエイツ株式会社 梅沢 太一
主要な出来事
- 0歳:土地家屋調査士の家に生まれる。
- 12歳:教育大附属中学校を受験するが、抽選で選考外となる。
- 13歳:地元の中学に入学し軟式テニスを始める。
- 16歳:高校に入学し硬式テニスに転向、恩師からテニス、
さらに人として指導を受ける。 - 18歳:大学に進みテニスのインストラクターをしながらテニスのトーナメントに出場しプロを目指すようになる。
- 19歳:芸能プロダクションに所属しCMなどに出演する。
- 22歳:テニスのトーナメントプレーヤー・インストラクターを引退し、
2年半訪問販売のセールスを経験する。
★鹿士は後に「この時の経験が全てを変えた」と語っている。 - 25歳:創業70年の実家の土地家屋調査士・事務所に
修行に入る。 - 29歳:働きながら測量士(補)と
難関法務大臣試験「土地家屋調査士」の勉強を始める。
★ 鹿士は後に「この年から命を懸けたチャレンジが始まった」と振り返っている。 - 34歳:当時、合格率4%の土地家屋調査士の
難関法務大臣試験に合格する。 - 35歳:10年修行した実家の土地家屋調査士・事務所の
サラリーマンを、
顧客・資金援助・相続財産を一切貰わずに辞め、
同事務所の顧問となり、独立開業し、妻と結婚する。
★鹿士は後に「無一文の僕についてきてくれた妻を
命を賭けて守ろうとした事が
人生最大のターニングポイントだった」と語っている。 - 45歳:不動産投資・事業を始める。
- 55歳:飲食店投資・事業を始める。
- 現在:次の事業を計画中!
少年~学生時代
「努力が実を結ばない不条理」と
「努力を怠らないことの尊さ」
鹿士憲司は、土地家屋調査士の先駆者だった祖父が築いた家業の中で、生まれ育ちます。
土地家屋調査士という国家資格が創設された1950年頃、既に測量技術を持っていた祖父は、この資格を取得して事業を開始したのです。
そんな家庭に生まれた鹿士ですが、少年期は決して順調なものではありませんでした。
小学校6年生で教育大附属中学校の受験に挑むも、
学力とは関係のない、試験前の抽選で落とされる理不尽な経験を味わいました。(現在は抽選は無くなり試験のみとの事です)
地元の公立中学校に進学した彼を待っていたのは、
クローズZERO・スクールウォーズのように荒れた学校。
不良の多い環境の中で、生きた心地がしませんでした。
中学受験の失敗で無気力になっていたその頃、
知人のすすめで軟式テニス部に入ります。
持ち前の真面目さで練習漬けの毎日を送るうちに、やがてキャプテンを任せられます。
そこで、責任感と自己管理能力を養っていきます。
高校進学後もテニスを続けますが、
それが鹿士の未来を開くことになります。
「努力が実を結ばない不条理」とそれでも「努力を怠らないことの尊さ」の両方を身を持って学んだことが、やがて鹿士に訪れる挫折から彼を救います。


テニススクール講師~サラリーマン時代
「華やかな成功」と
「虚像(本物ではない)だった世界」
高校のテニス部の恩師の勧めもあり、大学に進学してテニスの競技生活を続けました。
北海道のランキングでは30位以内に入る実力まで登り詰めていく一方で、
ラケット代や遠征費を稼ぐために、
テニススクールのインストラクターのアルバイトを始めます。
インストラクター時代は、「看板コーチ」として活躍していました。大学生ながらもテレビCMに出演し、生徒さん達からも絶大な人気を得ていました。
そんな鹿士をテニススクールが手放すはずもなく、大学4年生の時、
テニススクールの幹部から「正社員にしてやるから一生この会社で働くように」
とパワーハラスメントを受けます。
それに対して、自ら退職を決意した鹿士は、テニスから離れ、
訪問販売のセールスを始め、
わずか23歳で月収130万円を達成するものの、
それも一時の虚像(本当の自分の力ではない、長続きもしない)
と悟り、それも2年半で辞める決断をします。
さまざまな葛藤を抱えながらも、
「一回きりの人生を満足のいくものにするには何が必要なのか」
を模索する鹿士にとって、
この経験は人生の大きな分岐点となりました。
25歳で、それまでの経験から、自分には「営業・販売」には向いておらず、「一度サラリーマンを経験し手に職をつけてみよう」と決意し、ちょうど父の勧めもあり、家業の測量会社で土地家屋調査士としての技術を磨き始めることにします。
法務大臣試験の受験~
土地家屋調査士の開業・独立開業
無一文のサラリーマンから
誰の後ろ盾もなく夢を叶えるには
僕にはこの方法しかなかった。
働きながらの難関国家試験の受験勉強は熾烈を極め、
鹿士はその4年間
テレビを観ていません。
飲みに行っていません。
友達に会っていません。
ぐっすり眠った記憶がない。と言います。
そんな生活を続けた甲斐があり、
4年越しで34歳で土地家屋調査士の国家資格に合格し、
翌年35歳で実家のサラリーマンを辞め、
土地家屋調査士として独立開業します。
しかし、現実は厳しく、土地家屋調査士としての仕事が順調に増えることはありませんでした。そこで、土地家屋調査士と
並行して、資格取得専門学校の講師の仕事も始めます。
https://www.lec-jp.com/school/sapporo/
この35~45歳の10年間で鹿士が行った、今思えば修行、
- 法律の勉強のために司法試験の勉強をしました。
- 不動産の勉強のために宅地建物取引士の勉強をしました。
- 優秀な経営者を目指して累計500冊以上の
ビジネス書・成功者の書籍・自己啓発本を読破しました。
時間が絶対的に足りないので、 - ショートスリーパーに挑戦し寝食を忘れて命を懸けて成功者を目指しました
また、土地家屋調査士としての仕事を続ける中で、
司法書士、不動産業者、建築士といった専門家たちと
信頼関係を築き、
自然に役割を分担し合うチームが形成されていきました。
このチームは鹿士にとって、後に不動産投資に挑戦する際の
最強のビジネスパートナーとなりました。
鹿士は言います。
「苦汁をなめた人生の半分の、残りの半分の成功体験は
イメージ通りになった。 (思考は現実化する) 」


不動産投資との出会い~現在
「リスクを負う勇気」と
「信頼できるビジネスパートナー」
そして「死ぬまで諦めないという決意」
鹿士は45歳の時、経営者として分岐点と言われる
起業10年の節目に、
尊敬するファイバーゲートの猪又社長から
https://www.fibergate.co.jp/
「マンション経営をすれば安定した収入が得られる上に
本業の土地家屋調査士の仕事にも良い影響があるよ」
との助言を受け、不動産投資への挑戦を始めます。
土地家屋調査士として、一緒に協力してきた心から信頼しているチームとともに投資計画を練り、20億円以上もの不動産を購入し、一度も失敗する(負ける)事なく事業は順調に成長を遂げました。
手取り年収1億円を超えるまでに事業が発展し、ついに経済的にも大きな成功を収めます。
事業が軌道に乗ったことで、鹿士は長年の夢だった輸入車のコレクションを完成させます。その最後のピースがフェラーリでした。
鹿士は言います。
欲しい物・事があるなら「それを見に行き・値段や入手方法を確認し・いつまでに叶えるかの期日を決める事!
(思考は現実化する)」
また、厳しい時代を支えてくれた妻へ感謝の気持ちを込め、
美味しい飲食店に妻を好きなだけ連れて行っあげる事ができるようになりました。
そのような飲食の経験を通して、鹿士は
「美味しい食事を大切な人と分かち合う時間」の大切さを再確認し、飲食事業への投資を始めていきます。
信頼できるチームと共に札幌を中心に展開する店舗は、
単なる食事の場にとどまらず、特別なひとときを提供する場所
として成長を続けています。
どんなに事業が拡大しても、鹿士は妻や仲間への感謝を決して忘れません。
土地家屋調査士の資格取得時代から支えてくれた妻と仲間への感謝の思いを胸に、
今日もまた新たな挑戦を続けています。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
鹿士の足跡をあなたに知っていただけて嬉しく思います。
これからも努力と挑戦と社会貢献を続けて参りますので、
応援していただけると幸いです。
妻の理恵ちゃん、憧れの成功者・佐藤元春さん、
ビジネスパートナー・クライアントの皆様、
今までお世話になった全ての方達に感謝しています。